2007年03月13日

 今日は謙信公広場前で辻立ち。ここ数日で積もった雪の塊にのぼりを突き立て、付近に私の屋外ポスターを貼った看板を立てて戦闘準備OK。演説スタートです。
 すると因果なことに吹雪いてきました。雪を伴う冷たい風が私の身体をなでまわす中、時折奏でる強風が私の看板を倒そうとするので足で抑えながら必死で訴えました。
 1時間の演説を終えると、急に痛みを伴うほどの凍えが手足の末端を襲ってき、その強烈な寒さからガタガタ震えが止まりません。そこで暖をとりに一旦家に戻ることに。
 家に着くと、すぐにストーブ目がけてまっしぐら。体育座りの姿勢で、少しでも多く暖を吸収するかのように両手を火に向かわせ体を縮めます。
 ようやく体も温まった頃でしょうか。妻が私に一言漏らしました。「先ほどおばあちゃまが亡くなられたそうよ・・」。私の母から妻に電話があったそうです。私の凍えは祖母の最後とダブっていたのでしょうか。
 祖母が亡くなったのは9時27分。親族が病院に集い、祖母の体を清めているとのことでした。「山場」と言われてから3日。この3日間は、神様が祖母に与えてくれた最後の贈り物だったのでしょう。89歳の命。本当にお疲れ様でした・・。
 祖母には大変申し訳ないのですが、先日のお別れを最後にし、私はお通夜・葬儀には行きません。ここ上越で政治に集中します。というのも、私は今、本当に多くの方々からご期待を頂いているのですから。「身内は後」。政治の基本です。
 ババちゃん。できれば当選を果たした姿を見せたかったけれど、それももう叶いませんね。ですが、天国で見ていて下さい。そして、可愛がってくれていた守が世のため人のためにしっかりと働く姿を見ていて下さい。
 改めてありがとう、そしてさようなら、ババちゃん。

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2007年03月11日

 今日は午前中、溜まっていた事務を家で処理することに。そして12時のお昼、同じ木田町内にお住まいの方からお誘いを頂戴し、ご自宅で開催の「おでんの会」に参加させて頂きました。
 私は好物のひとつにおでんを掲げています。自分のことなのにまことおかしな話なのですが、なぜ好きなのか自分でもよく分からないのですよね。小さい頃おでんと何かあったのでしょうか。でもとにかく大好き。なかでも「大根」と「こんにゃく」と「はんぺん」が。とはいえ、おでん屋なんてそうないですし、頻繁に食べているわけでもないので、本日は久々の「いただきます」です。
 ご主人は飲食店とは全く別の商売をされている方なのですが、料理に対するこだわりは凄い!食材は全て最高級のものを使用してますし、味付けもバッチリ。正直、私がこれまで食べたおでんで一番旨いですね。梅谷流格付けで言えば「おでん五ツ星」を差し上げちゃうほどです。ホントに。
 また、おでんだけじゃなく、お酒やおつまみも素晴らしいものばかり。この後、民主党6区の会という大事な集会があると分かっていながらも、アルコールまでたくさんゴクゴクしちゃいました。どうもごちそうさまでした。
 ご主人にお願いがあります。おでん屋開いて下さいよ。そしたら毎日のように食べに行っちゃいますから(笑)
 会を中座し、挨拶まわり。15時すぎから「かに池交差点」で辻立ちを。そして夕方、「民主党6区総支部総会&懇親会」に出席。妙高市選挙区の横尾さんと十日町選挙区の保坂さんとともに、約350名の前で一言決意表明をさせて頂くとともに、お一人お一人にご挨拶させて頂きました。
 懇親会終了後は打ち上げに参加し全日程を終了。結構アルコールが入る一日でした。
 おでんは煮込めば煮込むほど旨くなるというもの。政治家も市民の声にどっぷり浸かり数々の経験に煮込まれることで成長する生き物ではないのでしょうか。「味の悪い政治家」などと決して言われないよう、日々精進を重ねて参ります。
 

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2007年03月10日

 昨日寝不足だったせいか、いつもは6時前に目を覚ますのが今日は8時30分と、久々に遅めの朝を迎えました。
 9時すぎに事務所入りし、皆さんにご挨拶後すぐに挨拶まわりに出動。15時近くまで、いつものように一人一人に訴えをさせて頂きました。
 その後、事務所でマスコミからの写真撮影を受け、今度は街宣車に乗り込み市内を熱く宣伝し回ります。
 夜、高土町つつい信隆国政報告会にお邪魔をさせて頂き一言申し上げ一日が終了しました。
 皆さんに挨拶させて頂く中で、久々に悲しいお言葉をもらいました。「政治なんて誰しなったってみな同じさ・・」。吐き捨てるわけでもなく、かといって私を叱り飛ばすわけでもない、ただただ諦めに近い感情のこもる一言。
 確かに、今の行政主導・マスコミ主導の政治では、トップを支える官僚が主に動かし、その背後を長老議員が影をチラつかせているんですから、議会を構成する議員とりわけ新米議員は誰がやったって同じに感じるかもしれませんし、そもそも政治とはすぐに結果の出づらいものですので、そうした印象を抱くのもムリもありません。
 政治に対するこうした閉塞感が満るに至った最大の原因は、「一党による長期間の独占支配」。これからの新しい時代の議会の姿は、知事と議会が対等の関係を維持し、その中で官僚に牛耳られることのない政策論争を行いうる「政治主導の政治」にあると私は確信しています。
 政治への閉塞感を打ち破るべく、私がその先頭に立つ覚悟です。そのためにもまずは4月8日。必勝に向け、上越市民の皆様とともに、「愚直に、まっすぐに、着実に」歩んで参ります。

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2007年03月10日

 東京に着いたのは9日になってから数時間経った深夜。一旦実家に寄り、仮眠を取ります。そして迎えた朝、母と妻と子供たちとともに祖母のいる病院へ。
 この病院はつい先日まで母が緊急入院していたところ。何度もお見舞いを重ねていたので見慣れているはずの院内でしたが、「救急」ではなく「一般」だったため、また違った雰囲気を漂わせていました。
 「チン!」エレベーターが5階に到着。これから直面する残酷な現実から少しでも気を紛らわそうと、何も知らずにはしゃぐ子供たちを注意しながら祖母のいる病室へ向かってゆっくりと歩を進めます。そしていよいよ最後の面会・・・。
 口と鼻を覆う酸素吸入器。点滴の針によって内出血が止まらないのかドス黒い色と化した腕。瞬きもせず見開いたままギョロつかせるガラス玉のような目。苦しいのか、はたまた意識があるのかないのかも全く分からない様子で、ただただ「ウー、ウー」とうめきに近いうなり声を弱々しく上げている状態でした。
 あの美しかった祖母の変わり果てた姿を見た瞬間、涙がブアッと零れ落ちました。そして、祖母の肩にそっと手を置きながら耳元に近づき、「ありがとう、ババちゃん」。すると、それが通じたのか、目はよそを向きながらも、私を探すようにして左手を宙に上げたのです。私はその手をしっかりと握りしめ再び、「本当にありがとう、ありがとう・・」と嗚咽を漏らしながら声を絞り出しました。
 どれくらい時間が経ったのでしょうか。母からそろそろの退室をうながされ、祖母に最後の別れを告げました。
 病院を出たその足で祖母の家へと向かいました。ここは私が小さい頃から出入りしていた場所。家に入り、いつも祖母が座っていた椅子を眺めると、思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、また涙が・・。そしてひと時の感傷に耽った後、上越に戻りました。
 あとほんのわずかな寿命。願わくば、できるかぎり苦しまず安らかに眠って下さい。ババちゃん、今まで本当にありがとう。そして、さようなら。

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2007年03月10日

 今日は、新光電気工業さん入口前でのあいさつ辻立ちからスタート。組合の皆さん、朝早くからお付き合い下さりありがとうございました。
 辻立ち終了後、すぐに挨拶まわりに出発。お一人お一人に私の訴えをさせて頂きました。
 13時すぎに差し掛かったので、休憩に入ろうと携帯に目をやると、母から着信が。かけてみると、なんと「祖母が危篤で今晩が山場」という知らせでした。
 「ババちゃんが・・・」。電話を切ると、しばらく呆然とし、まるで時が止まってしまったかのような感覚に襲われました。すると次の瞬間ドッと涙が。人に見られるわけにもいかないので急いで脇道に隠れ、止まらない嗚咽を必死に押し殺しました。
 私にとって祖母はとても大切な人。私が子供の頃とてもかわいがってくれ、また大人になって政治家を志し始めた頃の一番辛かった時期、温かく励ましてくれた女性でした。私の3人目の子供「文乃(あやの)」は、祖母の名前「文(フミ)」からもらっています。その祖母に、息があるうちにどうしても「ありがとう」を伝えたい。手を握りたい。その想いが込み上げ、夜の集会を終えたらすぐに駆けつけることを決心しました。
 以後、落ち着かない気持ちを何とか紛らわすかのごとく挨拶回りを敢行。そして夜、若者の集会「うめたに守toとことん上越」を迎えます。
 会場には、上越の未来を担う若者たち101名が集まってくれました。小山くん司会のもと、早速私からの挨拶。武田くんに「こらっ、内容がカタイぞ!」と突っ込まれながら、いつもとは違う雰囲気の中、想いを必死で伝えました。
 お次は「模擬投票」。私を含む事務方選出の5人が1分ずつ立候補表明を行った後、シバヤンキーさん作詞作曲の素晴らしいレゲエをバックミュージックに、実際と同じ形式で投票をして頂きました。すると結果「有効票99、無効票2」と、ほぼ全員が真面目に投じてくれたのです。正直、無効票乱発を恐れていた私にとって、まさに予想Guy。感謝感激です。  
 最後に私の妻とともに御礼の挨拶をさせて頂き、会は終了。参加してくれた皆さん、本当に本当にありがとうございました。
 なお、次回は3月23日。シバヤンキーさんやプロスノーボーダーの吉野さんをはじめとするゲストをお呼びしてのイベント盛りだくさんの「若者の手による、若者の未来のための、若者の祭り」ですので、参加をご希望の方は、梅谷事務所までご連絡下さい。
 集会終了後、後片付けに加わることができず申し訳ない気持ちで一杯ながらも、すぐに一旦家に戻り着替えと荷造り。そして車で、祖母のいる東京へと向かいます。
「ババちゃん、待っててね。今行くから!」

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