新潟県議会議員 梅谷 守 新潟県民の為に、とことん上越!!

民主党 梅谷守 新潟県議会議員

QRコード

梅ちゃん活動記が携帯でもご覧頂けるようになりました!

QRコードをお手持ちの携帯電話で読み取って頂くと、「梅ちゃん活動記携帯版」へ簡単にアクセスできます。

携帯電話にQRコード読み取り機能が無い方は、こちらからURLを携帯電話にメールを送信できます。

アクセスカウンター
  • 梅ちゃん活動記
  • 梅谷守のお仕事
  • 梅谷守のお約束

梅ちゃん活動記最新記事 RSS

梅谷守応援歌

2007年4月新潟県議会議員選挙に立候補時に、友人に頂いた曲です。

この曲を聴き、初心を忘れないよう日々努力しています。

上のボタンをクリックすると曲がお聞きになれます。音が鳴りますので音量にお気をつけください。

ダウンロードはこちらからどうぞ。ume.zip(2.90 MB)

ごあいさつ

 皆さん、こんにちは。新潟県議会議員梅谷守です。
 私は黒岩宇洋参議員の政策秘書として4年半、新潟県にどっぷりと浸かる日々を送ってきました。なかでも地元活動の主な拠点にさせて頂いた上越は、今や特別なほど愛着・愛情が湧く町。恋愛で言えば正に「惚れた」というやつです。
 日々の政策勉強を通じ、私には確信していることがあります。それは、「地方の元気なくして、日本の真の元気なし」ということ。自らの考えを弾力的に行動に移せるよう国から地方に権力を分散させ独自の活力を奮わなければ、日本に真の元気は訪れないのです。
 地方からの元気振興を本気で考える中、図らずも頂戴したのが、杉田弘美県会議員からの引退の内々報告と私への出馬要請。「本当に私で務まるのだろうか」と一旦は固辞させて頂きましたが、その後の周りからの説得や知人との相談もあって、私の中で「惚れた町のために是非役立ちたい」という想いが明確となり、上越市選挙区から2007年4月の新潟県議選に出馬することを決意し、上越選挙区のみなさまのおかげで当選させて頂き今に至ります。
 杉田県議から頂戴したバトンをしっかりと受け継ぎ、上越そして新潟の未来へとつなげるべく、私のこれからの人生全てをひたすら県民のためにとことん上越に注ぐ覚悟です。皆さん、どうか私の決意をご理解頂き、私と一緒に新しい時代の「新しい上越、新しい新潟」を創りましょう!

梅谷守プロフィール

生年月日 1973年12月9日生まれ(いて座)
身長 ・ 体重 181cm ・ 75kg
血液型 A型
住所 上越市木田
座右の銘

「至誠にして動かざるもの、未だこれあらざるなり」(吉田松陰)

⇒人は誠心誠意、真心を持って接すれば、どんなものでも感動しないものはない

家族構成

父は某音大ピアノ科の先生、母はピアノ教室の先生

3人兄弟の末子。長男は作曲家、二男は銀行マン、そして三男の私は政治家志望と異色

現在は、妻と、長男、次男、長女の5人家族。少子化対策には説得力あり(?)

初当選 2007年4月、上越市選挙区において県議会議員、議会最年少で初当選
学歴 早稲田大学卒業
職歴

蝶理株式会社(商社)

衆議院議員細野豪志事務所政策秘書

参議院議員黒岩宇洋事務所政策秘書

現所属委員会

・常任委員会:総務文教委員会

・特別委員会:地域活性化・総合交通対策特別委員会

・特別委員会:企業会計決算審査特別委員会

・図書室運営委員会

・この他、各種議員連盟にも参加

主な活動

議会活動

・年4回ある定例会のほぼ全てにおいて本会議で知事に質問!

・所属委員会においては、政策提言を踏まえた質問を連発!!

・与野党を超えたメンバーでの視察を通じて、政策づくりの視野を広げる。

・民主党新潟県連・農林漁業WT事務局長として、議員条例の提出を目指す。

・来年度予算に向け、暮らしの声に基づく52項目にわたる要望書を提出。

・国に対し、県議会の声たる各種意見書を提出。専らその作成にも携わる。

・40歳までが対象の都道府県青年議員団の一員として、未来の交流に努める。

・各種陳情・要望事項について、必要ならば永田町に直談判も辞さず。

地元活動

・中山間地域に知事視察を誘致。

・上越初となる、ニート・フリーター・引きこもり等の就労を支援するNPO法人

「えちご若者元気塾」を設立。4月1日から本格活動スタート!

・都市(東京都文京区)と農村の交流を促進すべく区長と面談するなど奔走。

・毎月1回、若者たちとの異業種交流会・勉強会「雲の会」を主催。

・並行在来線やまちづくり等、各種講演会のパネリストとして参加。

・各種陳情・要望を随時受付中!!

市民活動

・木田3班の班長として、明るい木田づくりの一助に。

・上越青年会議所(JC)の「グランドデザイン委員会」に所属。

市のグランドデザイン設計に携わるとともに、今年の衆院選で候補者同士の公開討論会を開催予定。

・被災地におけるボランティア活動や復旧に係る要望事項の解消に尽力。

・バスケットボールチームとサッカーチームに所属し、健康維持とスポーツ振興に励む。

政治を志した理由

 1997年3月大学卒業後、同年4月に「蝶理株式会社」という商社に入社。研修を経て、スーツの裏地などを扱う衣料資材部の営業補佐の役割を担当。営業が国内外で行った売買に係る手続き処理や衣料資材の在庫管理などを行う。入社当初は毎日が充実していたが、仕事を覚え、会社組織の動きを理解するうちに、次第に「このままでは浦島太郎になってしまうのでは!?」という危機感を感じ、辞めるなら給料と生活サイクルがまだ合わないうちが良いと判断。およそ10 ヶ月で退社することを決断した。ちなみに私の言う浦島太郎とは、定年退職した時の自分を想像した時、会社内で歳を重ね昇進しただけで、社会や世界ではどれだけの役割を果たし年齢を重ねることができているのだろうかという疑問のこと。
 蝶理退社後、貯えとアルバイト(カラオケ、学習塾講師)で生計を立てつつ司法の勉強をしながら、「自分は何をすべきか?」という自問自答を繰り返す日々を送る。こうした中、就職活動以来続けていた新聞等情報誌の定期購読が、私に政治への道を大きく意識させるきっかけとなった。
 継続した情報収集は、私の中の「点」だった知識を次第に「線」とし、やがて「図」へと変化させていった。すると、「日本はこのままでいいのだろうか?国際社会において尊敬される日本にしたい。そのためにも、どうしたら日本人一人一人が活き活きと暮らるのだろうか?」という想いが自然と湧き出してきた。これが私にとって政治を意識し始めた瞬間である。しかし、「政治家」を志すと決めたはいいものの、周りを見渡しても政界関係者などおらず、私にとって政治とは正に雲の上の存在であった。
 2001年2月上旬、とある方から「政治家を目指すなら、『国家T種』、『司法試験』、『政策秘書試験』のどれかを取得するといい」というアドバイスを頂く。私自身、政治家の動きを間近で見ることのできる政治家秘書業に魅力を感じていたことや、試験日がなかでも直近だったことから「政策秘書試験」に焦点を当て、合格を目指し3ヶ月間必死で勉強を開始。そして9月上旬、晴れて政策秘書の資格を取得する。
 数名の議員との面接を経て、最終的に衆議院議員細野豪志事務所に採用。民主党内閣部会に所属し、民主党「国内テロ対策案」のたたき台の作成、温泉療養の医療保険適用を目指す「温泉議連」の事務局、国会質問・答弁案の提案・作成等々を行う。
 2002年4月下旬、黒岩宇洋参議院議員の当選を受け政策秘書採用の面接をお願い。細野議員と話し合いの結果、7月末で細野事務所を辞めることを合意。2002年8月から黒岩事務所の政策秘書として勤務。事務所業務全般を任されながらとことん新潟に没頭し、そして現在に至る。
ページトップへ