梅谷守応援歌。2007年4月新潟県議会議員選挙に立候補時に、友人に頂いた曲です。この曲を聴き、初心を忘れないよう日々努力しています。

守が守る6つの約束

約束その1
        護

国民の暮らしを守る

戦争をしない、巻き込まれないよう立憲主義を堅持するべく目を光らせます。
また、災害からの復旧・復興や防災・減災対策を促進し、国民の暮らしを守ります。

約束その2
       継

義のこころの継承

上杉謙信公の「義のこころ」を現代に継承すべく、歴史学習はもとより、自然体験学習や文化振興を通じて、地域が誇りうる豊かな心身の育成に努めます。

約束その3
       創

アグリイノベーション

農林漁業を活動の柱に据え、バイオマスをはじめとするイノベーション(革新)を促進します。また、農業者戸別所得補償の立法化など、安心して営むことのできる環境をつくります。

約束その4
       愛

とことん地元

常に現場の声に耳を傾け、国全体の発展を見据えつつも、地元となる6区に暮らす市民の声をとことん政治に繋げ、かけがえのない地域社会を築きます。

約束その5
       築

強い社会をつくる

公平・公正なルール作りをし、地方と都市部がお互いに支え合う日本の姿を目指すとともに、すべての人に居場所と出番がある「強い社会」をつくります。

約束その6
       繋

未来への責任

将来を担う子供たちが心豊かに成長できる、魅力ある地域づくりを実現し、安心して生み育てることができる地域づくりを行います。

ごあいさつ

安倍政権は政治とカネの問題を国会で追及されるとともに、経済政策が正念場に立たされたことから、大義なき解散に踏み切りました。
 振り返ればこの2年間、世論を二分する特定秘密保護法や集団的自衛権行使のための解釈改憲などを強行する一方で、目玉であるはずの経済政策・アベノミクスは成長の鈍化と正規雇用減少、実質賃金低下をもたらすなど、国民不在の政権運営がなされてきました。
 一強支配に基づく安倍政権の暴走がこのまま続くならば、平和で豊かな暮らしを取り戻したい国民の切実な叫びは届かず、地方は切り捨てられ、未来の世代に責任を持って「凛とした日本」を託すことができなくなります。こうした強い危機意識から、このたび総選挙に初挑戦する決意です。
 一人ひとりととことん向き合う政治姿勢で、将来を担う子どもたちが心豊かに成長できる、魅力ある地域づくりを為すべく、「とことん地元」の精神で挑んで参ります。
 皆様、共に闘いましょう。ご支援の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

梅谷 守

プロフィール

生年月日 1973年12月9日生まれ(いて座)
身長・体重 182cm・75kg
足のサイズ 29cm
血液型 A型
住所 上越市木田
家族構成 父母共にピアノの先生、3人兄弟の末子。長男は作曲家、二男は銀行マン、そして三男の私は政治家志望と異色
現在は、妻と、長男、次男、長女の5人家族。少子化対策には説得力あり(?)
座右の銘 「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり」(吉田松陰)
⇒人は誠心誠意、真心を持って接すれば、どんなものでも感動しないものはない
好きな食べ物 炊き立てご飯とみそ汁(豆腐と大根)・ラーメン
趣味・特技 スポーツ(バスケ、サッカー)、ピアノ、読書
当選 2007年4月、上越市選挙区において県議会議員、議会最年少で初当選
2011年4月、上越市選挙区において県議会議員二期目当選
学歴 早稲田大学卒業
職歴 蝶理株式会社(商社)
衆議院議員細野豪志事務所政策秘書
参議院議員黒岩宇洋事務所政策秘書
新潟県議会議員2期
現在 民進党新潟県第6区総支部長

政治を志した理由

 1997年3月大学卒業後、同年4月に「蝶理株式会社」という商社に入社。研修を経て、スーツの裏地などを扱う衣料資材部の営業補佐の役割を担当。営業が国内外で行った売買に係る手続き処理や衣料資材の在庫管理などを行う。入社当初は毎日が充実していたが、仕事を覚え、会社組織の動きを理解するうちに、次第に「このままでは浦島太郎になってしまうのでは!?」という危機感を感じ、辞めるなら給料と生活サイクルがまだ合わないうちが良いと判断。およそ10 ヶ月で退社することを決断した。ちなみに私の言う浦島太郎とは、定年退職した時の自分を想像した時、会社内で歳を重ね昇進しただけで、社会や世界ではどれだけの役割を果たし年齢を重ねることができているのだろうかという疑問のこと。
 蝶理退社後、貯えとアルバイト(カラオケ、学習塾講師)で生計を立てつつ司法の勉強をしながら、「自分は何をすべきか?」という自問自答を繰り返す日々を送る。こうした中、就職活動以来続けていた新聞等情報誌の定期購読が、私に政治への道を大きく意識させるきっかけとなった。
 継続した情報収集は、私の中の「点」だった知識を次第に「線」とし、やがて「図」へと変化させていった。すると、「日本はこのままでいいのだろうか?国際社会において尊敬される日本にしたい。そのためにも、どうしたら日本人一人一人が活き活きと暮らるのだろうか?」という想いが自然と湧き出してきた。これが私にとって政治を意識し始めた瞬間である。しかし、「政治家」を志すと決めたはいいものの、周りを見渡しても政界関係者などおらず、私にとって政治とは正に雲の上の存在であった。
 2001年2月上旬、とある方から「政治家を目指すなら、『国家Ⅰ種』、『司法試験』、『政策秘書試験』のどれかを取得するといい」というアドバイスを頂く。私自身、政治家の動きを間近で見ることのできる政治家秘書業に魅力を感じていたことや、試験日がなかでも直近だったことから「政策秘書試験」に焦点を当て、合格を目指し3ヶ月間必死で勉強を開始。そして9月上旬、晴れて政策秘書の資格を取得する。
 数名の議員との面接を経て、最終的に衆議院議員細野豪志事務所に採用。民主党内閣部会に所属し、民主党「国内テロ対策案」のたたき台の作成、温泉療養の医療保険適用を目指す「温泉議連」の事務局、国会質問・答弁案の提案・作成等々を行う。
 2002年4月下旬、黒岩宇洋参議院議員の当選を受け政策秘書採用の面接をお願い。細野議員と話し合いの結果、7月末で細野事務所を辞めることを合意。2002年8月から黒岩事務所の政策秘書として勤務。事務所業務全般を任されながらとことん新潟に没頭し、そして現在に至る。