2007年4月新潟県議会議員選挙に立候補時に、友人に頂いた曲です。
この曲を聴き、初心を忘れないよう日々努力しています。
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皆様より信託を賜ってからの4年間、「とことん上越」に一点の曇りなきよう、議会における政策論争はもとより、地域課題の解消や要望の実現等に努め、併せて朝の辻立ちを始めとする県政報告をもって説明責任を果たして参りました。
この間の主な成果としては、農業大県たる強み(個性)に磨きをかけるとともに、その発信力の強化を図ってきたこと。そして、知事の視察誘致や、二度にわたる移動知事室の実施等、知事の目と足をここ上越により大きく向けることができたことにあります。
次なる4年は北陸新幹線開業に迫る極めて重要な期間です。今こそ改めて上越の英知を結集し、新時代に挑まなければなりません。その後押しをすべく、私は県政の場から、
@若さで「政治改革」を為し「凛とした政治」に導く!
A「政策改革」によって都道府県横並びではない強い個性から生じる政策立案への転換を図る!
B「議会改革」をもって旧来型の古びた体質を一掃する!
この3本柱に取り組みながら、「とことん上越」を基軸に皆さんと歩んで参ります。
さあ、新しい時代の新しい一歩を共に踏み出しましょう!!
| 生年月日 | 1973年12月9日生まれ(いて座) |
|---|---|
| 身長・体重 | 181cm・75kg |
| 足のサイズ | 29cm |
| 血液型 | A型 |
| 住所 | 上越市木田 |
| 家族構成 | 父母共にピアノの先生 3人兄弟の末子。長男は作曲家、二男は銀行マン、そして三男の私は政治家志望と異色 現在は、妻と、長男、次男、長女の5人家族。少子化対策には説得力あり(?) |
| 座右の銘 | 「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり」(吉田松陰) ⇒人は誠心誠意、真心を持って接すれば、どんなものでも感動しないものはない |
| 好きな食べ物 | 炊き立てご飯とみそ汁(豆腐と大根)・ラーメン |
| 趣味・特技 | バスケ、サッカー、ピアノ、映画、音楽鑑賞 |
| 当選 | 2007年4月、上越市選挙区において県議会議員、議会最年少で初当選
2011年4月、上越市選挙区において県議会議員二期目当選 |
| 学歴 | 早稲田大学卒業 |
| 職歴 | 蝶理株式会社(商社) 衆議院議員細野豪志事務所政策秘書 参議院議員黒岩宇洋事務所政策秘書 |
| 現所属委員会 |
・常任委員会:産業経済委員会 ・特別委員会:総合交通・防災対策特別委員会 ・この他、各種議員連盟にも参加 |
議会活動
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- 年4回ある定例会のほぼ全てにおいて本会議で知事に質問!
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- 所属委員会においては、政策提言を踏まえた質問を連発!!
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- 与野党を超えたメンバーでの視察を通じて、政策づくりの視野を広げる。
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- 民主党新潟県連・農林漁業WT事務局長として、議員条例の提出を目指す。
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- 来年度予算に向け、知事に対し暮らしの声に基づく要望書を提出。
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- 国に対し、県議会の声たる各種意見書を提出。専らその作成にも携わる。
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- 40歳までが対象の都道府県青年議員団の一員として、未来の交流に努める。
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- 各種陳情・要望事項について、必要ならば永田町に直談判も辞さず。
地元活動
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- 中山間地域に知事視察を誘致。
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- 上越初となる、ニート・フリーター・引きこもり等の就労を支援するNPO法人
「えちご若者元気塾」を設立。平成21年1月1日から本格活動スタート!
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- 中高生を対象に、「上越ディベートクラブ」を開塾。未来に人材育成に取り組む。
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- 都市(東京都文京区)と農村の交流を促進すべく区長と面談するなど奔走。
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- 毎月1回、若者たちとの異業種交流会・勉強会「雲の会」を主催。
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- 並行在来線やまちづくり等、各種講演会のパネリストとして参加。
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- 各種陳情・要望を随時受付中!!
市民活動
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- 上越青年会議所(JC)に所属し、地域振興に取り組む。
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- 被災地におけるボランティア活動や復旧に係る要望事項の解消に尽力。
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- バスケットボールチームとサッカーチームに所属し、健康維持とスポーツ振興に励む。






1997年3月大学卒業後、同年4月に「蝶理株式会社」という商社に入社。研修を経て、スーツの裏地などを扱う衣料資材部の営業補佐の役割を担当。営業が国内外で行った売買に係る手続き処理や衣料資材の在庫管理などを行う。入社当初は毎日が充実していたが、仕事を覚え、会社組織の動きを理解するうちに、次第に「このままでは浦島太郎になってしまうのでは!?」という危機感を感じ、辞めるなら給料と生活サイクルがまだ合わないうちが良いと判断。およそ10 ヶ月で退社することを決断した。ちなみに私の言う浦島太郎とは、定年退職した時の自分を想像した時、会社内で歳を重ね昇進しただけで、社会や世界ではどれだけの役割を果たし年齢を重ねることができているのだろうかという疑問のこと。
蝶理退社後、貯えとアルバイト(カラオケ、学習塾講師)で生計を立てつつ司法の勉強をしながら、「自分は何をすべきか?」という自問自答を繰り返す日々を送る。こうした中、就職活動以来続けていた新聞等情報誌の定期購読が、私に政治への道を大きく意識させるきっかけとなった。
継続した情報収集は、私の中の「点」だった知識を次第に「線」とし、やがて「図」へと変化させていった。すると、「日本はこのままでいいのだろうか?国際社会において尊敬される日本にしたい。そのためにも、どうしたら日本人一人一人が活き活きと暮らるのだろうか?」という想いが自然と湧き出してきた。これが私にとって政治を意識し始めた瞬間である。しかし、「政治家」を志すと決めたはいいものの、周りを見渡しても政界関係者などおらず、私にとって政治とは正に雲の上の存在であった。
2001年2月上旬、とある方から「政治家を目指すなら、『国家T種』、『司法試験』、『政策秘書試験』のどれかを取得するといい」というアドバイスを頂く。私自身、政治家の動きを間近で見ることのできる政治家秘書業に魅力を感じていたことや、試験日がなかでも直近だったことから「政策秘書試験」に焦点を当て、合格を目指し3ヶ月間必死で勉強を開始。そして9月上旬、晴れて政策秘書の資格を取得する。
数名の議員との面接を経て、最終的に衆議院議員細野豪志事務所に採用。民主党内閣部会に所属し、民主党「国内テロ対策案」のたたき台の作成、温泉療養の医療保険適用を目指す「温泉議連」の事務局、国会質問・答弁案の提案・作成等々を行う。
2002年4月下旬、黒岩宇洋参議院議員の当選を受け政策秘書採用の面接をお願い。細野議員と話し合いの結果、7月末で細野事務所を辞めることを合意。2002年8月から黒岩事務所の政策秘書として勤務。事務所業務全般を任されながらとことん新潟に没頭し、そして現在に至る。



















